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共有地の悲劇 連載第235回

環境問題でよく取り上げられてきた言葉が共有地(コモンズ)の悲劇である。環境・資源は有限だ。個人・組織が利己的にふるまい、好き勝手に環境・資源を消費すれば枯渇してしまう。これを防ぐためには、みなが共有地という全体の利益を考えて、自制的にふるまうべきだ。それが、この言葉の主旨である。環境・資源と異なり、行政情報は無限に作成、取得される。そのため、この言葉を持ち出すのは適切ではないようにも思える。しかし、行政情報の公開制度の運用には相応の限界がある。それを越えたとき、枯渇はしないが制度は疲弊する。

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