新しい公共は本当に新しいのか?


NPO「参加型システム研究所」のニュースレターに書いた原稿です

 このほど、神奈川県でも「新しい公共支援事業」が始まった。これは、国の「新しい公共支援事業交付金」(総額87.5億円)を活用したものだ。県は「新しい公共支援事業基金」(3億2200万円)を設置し、2011~2012年度の2年間で基金を取り崩しながら、以下の事業を行っていく予定だ。
 ①NPO等の活動基盤整備のための支援事業
 ②寄附募集支援事業
 ③融資利用の円滑化のための支援事業
 ④新しい公共の場づくりのためのモデル事業
 「新しい公共」は民主党への政権交代後に、鳩山前首相が意欲的に取り組んだテーマである。管首相もこれを引き継ぎ、2010年度補正予算で「新しい公共支援事業交付金」を設けた。この事業のガイドラインによれば、「新しい公共」とは、「従来は官が独占してきた領域を『公(おおやけ)』に開いたり、官だけでは実施できなかった領域を官民協働で担ったりするなど、市民、NPO、企業等が公的な財やサービスの提供に関わっていくという考え方」だという。

 ここでいう「官民協働」は、すでに県内だけではなく全国各地で取り組まれてきた。当研究所も、民間事業者を対象とした個人情報保護講座を、神奈川県と協働して開催してきた実績がある(2008~2010年度)。この事業では、資金・場所の確保や事業者への広報を県が主に担い、当研究所はテキストの作成を含めた講座の企画・運営を担った。こうした役割分担で、地域課題を解決していくことは今後もさらに積極的に取り組まれるべきだ。その意味で、「新しい公共支援事業」には大いに期待している。
 しかし、その内容や方法によっては、まったく新しさを欠く従来型の公共事業になってしまうので注意が必要だ。
 従来型とは、官と民との対等性を欠くことだ。その象徴として市民活動団体が指摘し続けてきたのが、協働事業の契約方法である。一般的に、「官民協働」の事業の方法は委託または補助が中心となる。とりわけ前者の事業の場合、委託者である官が事業の内容や方法を定め、受託者である民にこれを行わせる形態であることが問題とされてきた。民は官の単なる下請けではないし、受託者への「発注」という従来の形態では、民の側の自由な視点や方法を活かせない。そこで、「協働契約」という対等性のある契約方法への期待と関心が集まっている。
 真の意味で「新しい公共」にしていくためには、「協働契約」の提案も傾聴に値する。しかし、問題とすべきは契約方法だけではないように思える。たとえば、前述したような「新しい公共支援事業」の内容や方法があらかじめ具体的に定められている場合など、契約以前の問題も少なくないからだ。ある協働事業の企画提案書を作成したときに、それを痛感したことがある。官があらかじめ定めた仕様に基づいた提案でなければならないため、自分たちが必要と考える内容や方法を盛り込むことができないのだ。
 対等性というのは、契約という最終段階だけではなく、企画段階でも保障されなければ意味がない。公共施設の管理運営のように、事業の性質上、それほど自由度が高くない場合は契約段階での対等性が重要になる。しかし、「新しい公共支援事業」のように企画の質が事業の成否を決めるような場合は、各事業の大枠を定める程度にとどめて、民の創意あふれる企画提案を募るべきだろう。
 対等性というのは相手への信頼が基礎になる。民に任せることの不安を官が持ち続ける限り、「はしの上げ下げ」にまで細かな注文を付けたくなるにちがいない。しかし、そこを越えない限り、「新しい公共」は真に新しいものにならない。
 私は「新しい公共支援事業」に大いに期待し、市民はこれを積極的に活用して地域社会の課題解決に役立てるべきだと考える。だからこそ、それが従来型に後退することを憂えるのだが、最後に、予算消化型の事業への懸念をあげておきたい。
 この事業は資金面で2年間に限定されている。いくら「新しい公共」の基盤づくりだといっても、短期間でできることは限られている。2年間の経験や実績をどのような未来に結びつけていくのか、一つ一つの事業のあり方にとらわれない「大きな物語」(ビジョン)を官民双方がもたなければならない。当座をしのぐために「新しい公共支援事業」が行われたりしたら、それこそ税金の無駄づかいになってしまう。これに関わっていく私たち市民の構想力も試されている。

身近にある危険

[第117回]
「杞憂」とは中国の故事に由来する言葉で「取り越し苦労」を意味する。これは、原子力発電所の安全性を危惧する声に対して、常に投げかけられてきた言葉だ。しかし、「東北関東大震災」によって、原子力発電所の「安全神話」はもろくも崩壊した。原発に限らず、私たちの身近には危険がたくさんある。その情報公開を求めることを、「杞憂」だと軽く見てはならない。
 ⇒詳細は月刊『ガバナンス』(ぎょうせい)20114月号参照