継続は力なり 連載第211回

「制度は永遠なんです」、先進的な情報公開条例を制定した自治体の首長から、そんな言葉を伺ったことがある。公選制のため首長の任期はいつ終わるかもしれない。しかし、良い制度をつくれば、自分の「命」を越えて生き続ける。ただ、この制度の宿命として、誰も利用しなければ、たとえ良い制度があっても意味がない。市民が制度を積極的に使うことで、制度の良さは磨かれていき、透明で公正な行政の実現に近づく。こうした好循環は「言うは易し行うは難し」であることを、いつも痛感している。

駅起点のまちづくり 連載第203回

地方には無人駅や廃駅もあるが、都市部の駅は大勢の地域住民が毎日利用している。少なくとも役所を訪れる人よりも、駅を利用する人の方が圧倒的に多いはずだ。そんな駅を情報発信の起点として活用できないだろうか。ある自治体で寄附促進キャンペーンを検討したときに、そんな提案をしたことがある。そのときは残念ながらお蔵入りになった。しかし、役所中心の情報発信よりも、駅を活用した方が有効ではないかと今でも固く信じている。

認定NPO と政治活動


物事は複眼的にとらえなければならない。これを痛感する出来事があった。認定NPO 制度の導入は、優遇税制と相まってNPOに対する寄付をすすめる好機である。ところが、特定非営利活動促進法(以下、「NPO法」は、これと同時に認定NPOの活動を制限する条項を加えていた。同法45条には、認定NPOによる政治活動の禁止とも受け取られかねない条項がある。自分自身の理解の浅さを深く自省しつつ、「悪法」との向き合い方を考えたい。

 ⇒詳細は月刊『ガバナンス』(ぎょうせい)2013年10月号参照

資源情報の共有化

自治体では税収が伸びず緊縮財政が続き、一方で、公共施設の老朽化が深刻な問題になるなど、周囲を見回せば景気の悪い話ばかりである。地域社会の諸課題の解決を行政だけに依存できなくなって久しい。こうした中でNPO等の非営利セクターへの期待が高まってきた。しかし、NPOも豊富な資源をもつわけではなく、関心・意欲だけで困難な課題解決に取り組む例も多い。この隘路を切り拓くカギが「連携」である。

⇒詳細は月刊『ガバナンス』(ぎょうせい)2013年1月号参照

FM放送との連携

神奈川県で寄付促進のためのユニークな取り組みが始まった。新しい公共支援事業を活用して、FM放送局がキャンペーンを行うのだ。メディアを使った寄付の呼びかけという、よくあるPRではない。放送を通じて人の心に呼びかけ、動かしていくことが基本コンセプトだ。心が動かなければ寄付は促進できないし、その先にある寄付文化の定着など夢想でしかない。困難な夢を実現するために踏み出した「はじめの一歩」を紹介する。

⇒詳細は月刊『ガバナンス』(ぎょうせい)2012年8月号参照

NPOの説明責任

NPOは社会的課題の解決を担う主体の一つである。その活動には、人、モノ、金等の社会的資源が投入される。これらの資源を活用して、どのような成果を生み出したのか。NPOは社会に対して説明する責任を負う。とりわけ、税金を使った事業については、その責任は行政機関と同様に重く、結果責任が問われることもある。しかし、こうした自覚や警戒感をもつNPOはまだまだ少ない。

⇒詳細は月刊『ガバナンス』(ぎょうせい)2012年6月号参照

連携のテーブル

東日本大震災の発生から1年がたった。誰もが被災者や被災地のために何かできないかと考え、行動した。その中で感じたことは、個人の能力・努力の限界性であり、同時に人がつながることで何かを生み出す可能性であった。前者は私たちに強い無力感を与えたが、後者は個人と社会に小さな希望を灯した。人はつながることで、よく生きることができる。そのための多様な「仕掛け」を、社会の中に用意できないだろうか。

⇒詳細は月刊『ガバナンス』(ぎょうせい)2012年4月号参照

寄付をすすめる

[第125回]
 東日本大震災という未曾有の災害が起きた2011年。実に多くの日本人が、被災者・被災地を応援するための寄付をした。そして、生まれて初めて寄付集めを経験した人も少なくない。奇しくも、この年に、NPO等に対する寄付優遇税制が大きく拡大し、寄付をすすめる環境が整った。阪神・淡路大震災があった1995年はボランティア元年と呼ばれた。そして、2011年は大震災の辛く苦しい記憶とともに、寄付元年として語り継がれることになるだろう。
⇒詳細は月刊『ガバナンス』(ぎょうせい)201112月号参照

「つながり」を考える

NPO法人「ぐらす・かわさき」のニュースレターに書いた文章です。
116日(日)、ぐらす・かわさき設立10周年を記念する講演会「さよなら無縁社会―寄付で縁をつくる」が開催されました。講師の島田裕巳さんのお話は、実に示唆に富むものでした。この紙面を借りて、私なりの理解・表現で講演の内容を紹介します。
はじめに、横道にそれますが一言、他人(ひと)の言葉を理解することは簡単ではありません。私自身も相手を理解したつもりになっていて、その言葉や行動を誤解して、相手を傷つけてしまった経験がたくさんあります。逆に、私自身が、その意味での「被害者」になることもあります。言葉というのは、一人ひとりの文化的脈絡の中で生み出されるものであるため、各自の「文化」の意味や価値が共有化されないと、なかなか相互理解は進んでいきません。
さて、島田さんの講演についてです。島田さんの話を聞きながら、どのような点でぐらす・かわさきの10年の歴史そして「文化」と共有できるのか、私はぼんやりと考えていました。その中で浮かびあがってきたのが、以下に示したイメージです。個人は組織や他者とどのような関係を結びながら、どのような社会の中で生きてきたのかを表したつもりです。ちなみに、ぐらす・かわさきが目指しているのは、封建社会でも無縁社会でもありません。言葉としては違和感があるかもしれませんが、主体的な個人が自由につながることで、生きていく上での問題解決を進めていく連帯社会なのです。


以上のような文化的脈絡を確認したうえで、通常の講演報告とは異なり、島田さんの講演の最後の部分から紹介しましょう。彼が最後に提案したのは、家族を法人化して家を経済共同体として考えていくというものでした。これは、彼自身が講演の冒頭で述べていたように、固定観念にしばられた私たちの発想を根本から変えるものです。それゆえに、彼の話を十分に理解できなかった方がいらしたかもしれません。そして、島田さんが法人化の例として渋沢栄一が作った家族会、同族会社の例をあげたことからよけいに、彼が封建社会における家制度の再興を提案したかのような錯覚をもった方もいらしたでしょう。しかし、先のイメージのように、家族の法人化を連帯社会へ向かう流れに乗せることで、人と人とが主体的につながる社会をめざしてきたぐらす・かわさきと彼の提案との接点がより鮮明になるはずです。
さらに話をわかりやすくするために、フランスの民事連帯契約法の例をあげます。この法律は1999年に制定されたもので、フランス名はLe Pacte civil de solidarite通称Le Pacs(パックス)、または連帯市民協約、市民連帯契約と呼ばれることもあります(これを参考に連帯社会と表現しました)。この法律の制定直後に私がフランスに視察に行ったとき、「同性愛のカップルも夫婦になれるようになった」という説明を受けた記憶があります。ただ、現在では、実際には同性愛カップルの比率はそれほど多くありません。むしろ、最近、日本でパックスが注目されるのは少子化対策との関係です。パックスは結婚や家族の形の多様性を前提としているため、婚姻届を出さない同棲カップルにもさまざま法的保護を与えています。この制度の存在が、フランスが少子化を脱した一因とされています。
島田さんの提案は、多様な家族の形を認めるとともに、パックスがない日本で、法人化によって法的な保護を得る一つの問題解決策と言えます。封建社会における古い家族の再興とは、180度異なるベクトルの提案だったのです。私自身は事実婚型の夫婦別姓家族であるため、夫婦同姓を唯一絶対の家族の形とした現行法の下で、税や保険などさまざまな場面で苦労をし、不利益を受けてきました。そうした経験があるからこそ、家族の法人化はとても魅力的な提案に思えました。島田さんは家族を例にしましたが、これを「人と人とのつながり」に置き換えると、連帯社会について、さまざまなビジョンを描くことができます。夫婦別姓や同性婚だけでなく、若者のルームシェアや高齢者のグループホームなど、個人の多様なつながりに対して、法人化による法的保護を活用できるかもしれません。
また、彼は法人化として株式会社を例にあげましたが、それがNPOや社団、財団だって構わないはずです。大切なことは、無縁社会の中でバラバラに存在し孤立しがちな個人を、理念や利害でつないでいくことです。そうした多様な人間関係に法的保護を与えることが、法人化という提案の趣旨だったと私は理解しています。大切なことは「つながり」が与えられ、強制されたものではなく、個人が主体的に選んだものである点です。この点が、封建社会と連帯社会との決定的な違いです。
島田さんは、日本に寄付文化があった例として「寺社への寄進」という伝統をあげました。これにより、寺社勢力が都市を形成し、外部の権力からの介入を防いでいたからこそ、寺社という共同体は「あて」にされ、それが個人による寄進の強い動機になりました。少なくとも当初の寄進は、理念(信仰)と利害(安心・安全の確保)に共感・同意した個人が、誰からか強制されるのではなく、自ら選んだ行為だったはずです。
しかし、時代が移りゆく中で、寺社への寄進が強制的な色合いの強いものになり、寺社に代わって人びとの安全・安心の確保を委ねられた国家が、より強制的な徴税を行うようになりました。
この徴税権の一部を市民に取り戻す試みが、寄付元年の今年導入されたNPO 等に対する寄付優遇税制の拡充策です。また、個人が自らの資源(金、モノ、場所、情報、人など)を活用して、自由に他者や社会とつながる新たな歴史を切り開くための仕組みです。これからは、強制的な税金ではなく主体的な寄付を通じて、地域社会の人びとが多様な形でつながり、問題解決を進めていく、それが連帯社会です。
無縁社会が広がりの中で、寄付を通じて縁を生み出す仕組みを、地域社会の中で生み出すことができるのか?それを進めていく上で欠かせない、活動の理念や利益への共感・同意を、どうすれば引き出していくことができるのか?…島田さんの講演には、ぐらす・かわさきに対する重い問いかけが込められていたように思いました。

さよなら無縁社会―寄付で縁をつくる

NPO法人「ぐらす・かわさき」のニュースレターに書いた文章です。
きたる116日、ぐらす・かわさきの設立10周年を記念した講演会を開催します。講師は『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)などのベストセラーもある島田裕巳さんです。講演のタイトルは「さよなら無縁社会―寄付で縁をつくる」としました。「円」ではなく「縁」です。そして、そこがとても大切なのです。
 10年前、ぐらすレターの創刊号だったと思います。立ち上げたばかりのぐらす・かわさきのキーワード「つながる」について、簡単な文章を書いた記憶があります。設立者の一人として、地域社会で暮らし、働く人が、ぐらす・かわさきという場を通じて出会い、さまざまな形でつながっていけるといいなあとの思いがありました。
 あれから10年、果たして、私たちは設立時の思いを実現することができたのでしょうか。行政からの受託事業などの資金獲得に追われ、ややもすると「縁」よりも「円」を重視することが少なくなかったかも…と、最近、激しく自省しています。
 中間支援組織としてさまざまな「縁」を生み出していくため、スタッフの人件費など「円」を獲得することは必要不可欠です。しかし、「円」は手段であって目的ではありません。目的は地域社会に多様な「縁」を生み出すことなのです。記念講演会のタイトルには、「人と人とをつなぐ」というぐらす・かわさきの原点を、もう一度見つめ直したいという意味を込めました。
 もちろん、ぐらす・かわさきの10年の活動が「縁」を生み出してこなかったわけではありません。「遊友ひろば」という場所を通じて、ぐらす・かわさきがなければ出会えなかった人が出会い、つながってきました。他の事業やイベントを通じても、地域社会の中にそれなりの「縁」を生み出してきたとの自負もあります。そうした多様な「つながり」は、この10年間の貴重な財産です。
 この「縁」を生み出したのが原田さんの寄付でした。「寄付で縁をつくる」というのは単なる願望ではなく、他でもないぐらす・かわさきが実際に経験してきた物語です。そして、いま、同じような物語をもっとたくさん生み出したいと考えています。それが「市民ファンド」の創設です。
 「市民ファンド」とは怪しげな投資話ではありません。すごくまじめな理想をもっています。「新しい価値の創造や社会的課題の解決のために、市民が主体的に設置・運営し、市民からの寄付を中心に、市民の活動に助成する民間の仕組み」、それが市民ファンドです。これは、ぐらす・かわさきもメンバーに入っている市民ファンド連絡会による定義です。
 この定義にきっぱりと表現されていることは、行政からの補助や受託に依存するのではなく、市民が主体になって資金を確保、運営していくという気概です。これを非現実的な強がりだと笑う人もいるでしょう。でも、自分の周囲を見渡すと、寄付で「縁」をつくり、「縁」を通じて様々な問題解決を成し遂げた市民活動の例は少なくありません。
 高い理想と気概をもって、これからの10年を歩んでいきましょう!