以下の文章はある医師が自らの体験を綴ったものである。この文章を読み、病む人の支えになり、慰めることのできる医師にどうしたらなれるか、についてあなたの考えを1000字以内で述べなさい。
7月下句の、ある日曜目の朝のことである。彼女の容態は、早朝からひどく悪化し、嘔吐がつづき、私が彼女の病棟に出かけたとき、彼女は腸閉塞の症状を示し、血圧は下り、個室の重症室に移された。彼女の苦しみを止めるには、モルヒネの注射しかなかった。私は、いつもの二倍の量を注射して、彼女の苦しみが軽くなることを願いつつ、彼女の弱くなっている脈拍を数えていた。私はときどき、彼女の手を意識的に強く握り、「今日は日曜目だから、お母さんが午後からこられるから頑張りなさいよ」と激励した。
そのころは、今日私たちが行なっている高栄養輸液や、静脈内点滴ブドウ糖輸液といった方法はなく、口から何もとれないような患者には、一日に一回くらい、左右の大腿に太い針を同時に刺して、500ccの生理食塩液を皮下注射したものである。脱水状態の患者には、500ccくらいの液を30分で注入し終るが、注射の局所が腫れあがるので、暖めたタオルで大腿をくるんで軽くマッサージをするのが当時の看護婦のつとめであった。そのことによって局所の皮下にたまった水分を早く拡散させて腫れをとり、痛みをとる作業である。
少女は、私がモノレヒネを注射するとまもなく、苦しみがすこし軽くなったようで、大きな眼を開いて私にこういった。
「先生、どうも長いあいだお世話になりました。日曜目にも先生にきていただいてすみません。でも今日は、すっかりくたびれてしまいました」といって、しばらく間をおいたのち、またこうつづけた。「私は、もうこれで死んでゆくような気がします。お母さんには会えないと思います」と。
そうして、そのあとしばらく眼を閉じていたが、また眼を開いてこういった。「先生、お母さんには心配をかけつづけで、申し訳なく思っていますので、先生からお母さんに、よろしく伝えてください」。彼女は私にこう頼み、私に向って合掌した。私は一方では弱くなってゆく脈を気にしながら、死を受容したこの少女の私への感謝と訣別の言葉に対して、どう答えていいかわからず、「あなたの病気はまたよくなるのですよ。死んでゆくなんてことはないから元気を出しなさい」といった。そのとたんに彼女の顔色が急に変ったので、私はすぐ病室から廊下に出て、大きな声で看護婦を呼び、血圧計とカンフル剤を持ってこさせた。ビタカンファーを一筒皮下注射し、血圧を測ろうとしたが、血圧はひどく下り、血管音はもう聞けなかった。
私は眠ったような彼女の耳元に口を寄せて大きく叫んだ。「しっかりしなさい。死ぬなんてことはない。もうすぐお母さんが見えるから」と。
彼女は、急に気づいて茶褐色の胆汁を吐いた。そしてそのあと、二つ三つ大きく息をしてから無呼吸になった。私は大急ぎで彼女のやせた左の乳房の上に聴診器をあてたが、狼狽した私の耳は、心音をとらえることがもうできなかった。こうして彼女は永遠の眠りに入った。これは、私が今日まで四十年あまりにわたる臨床医としての生涯のなかで、死をみとった六百名あまりの患者のなかで、私にとって死との対決の最初の経験であった。
私は、いまになって思う。なぜ私は、「安心して成仏しなさい」といわなかったのか?
「お母さんには、あなたの気持を充分に伝えてあげますよ」となぜいえなかったのか?
そして私は脈をみるよりも、どうしてもっと手を握っていてあげなかったのか?
それからは、受け持ちの患者が重い場合には、日曜目でもかならず病院に出かけて患者を一度は診ることが習慣化した。これが臨床医の第一の義務であり、また特権でもあると思う。
死を受容することはむつかしいという。しかし十六歳の少女が、死を受容し、私に美しい言葉で訣別したその事実を、私はあとからくる若い医師に伝えたい。医学が、看護がアートであるということは、このような死に対決できる術を、医学や看護に従事するものがもつことをいうのではなかろうか。
To cure sometimes
To relieve often
To comfort always
これは古き時代の西洋のあるすぐれた臨床医が遺した言葉だという。それは、近代外科学の父といわれるフランスのアンブロワズ・パレ(Ambroise Pare,1517~1590)だとの説もある。
(日野原重明著 死をどう生きたか 一部改変)
【解答例】
病む人の支えになり、慰めることのできる医師になることは簡単なことではなく、実に手ごわい課題だと思う。とりわけ課題文のように病む人が死をまじかにした状態で、いったい、医師にどのような支え・慰めができるのだろう。つねに病む人の視点を持ち、彼・彼女とのコミュニケーションを通じて、支え・癒しのニーズを把握し、その願いをかなえられるよう医師として最善の努力をする・・・というような上っ面の理解・思考・対応ではないはずだ。
ヒントになるのが筆者の言葉である。医学や看護に従事するものがもつべき「死に対決する術」が、その言葉だ。ここでいう「対決」はいろいろな意味を含んでいると思われる。病む人やその死にゆくさまを一瞬たりとも見逃さない「対決」、死という現実から逃げ出したりしないで正面から受け止める「対決」など、さまざな「対決」に共通するのは、課題文の少女のように自らの死を含めて、病気・障害や死という現実を受容することが病む人の支え・慰めの起点になると私は考える。
現実を受容するとは何もしないことではない。その規定条件の中でも、しっかり生きていくことである。それは、未来に夢や希望を持つことであり、その実現のために努力することである。仮に夢や希望がかなわなくても、それを追う求めるプロセスに意味や価値を見い出すことが支えである。そして、生きることに意味や価値があり続けることを確かめ合い、喜び合うことが慰めである。
それでは、以上のような支え・慰めができる医師になるにはどうしたら良いのだろう。まず必要なことは、病む人を支え・慰めることのことが誰よりも自分にとって至上の喜びであり、大きな意味・価値をもつと確認することだ。支え・慰めは病む人のためではなく、自分自身がしっかり生きるためにもある。筆者が日曜日の診察を「特権」と表現したのは、それが義務的なものであり、嫌々やるものではなく、歓びに満ち溢れているからである。そして、もう一つ必要なことは、支え・慰めが首尾よくいかない現実も受容することだ。筆者が過去の失敗を「若い医師に伝えたい」と考えたのは、このような取り返しのつかない失敗を忘れずに、あるべき支え・癒しを追求し続けるを身につけてほしいと願ったからではないか。病む人を支え、癒すことは簡単ではない。うまくいかないときも多いが、決してあきらめない。他でもない自分の人生・仕事だからである。(991字)