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「つながり」を考える

NPO法人「ぐらす・かわさき」のニュースレターに書いた文章です。
116日(日)、ぐらす・かわさき設立10周年を記念する講演会「さよなら無縁社会―寄付で縁をつくる」が開催されました。講師の島田裕巳さんのお話は、実に示唆に富むものでした。この紙面を借りて、私なりの理解・表現で講演の内容を紹介します。
はじめに、横道にそれますが一言、他人(ひと)の言葉を理解することは簡単ではありません。私自身も相手を理解したつもりになっていて、その言葉や行動を誤解して、相手を傷つけてしまった経験がたくさんあります。逆に、私自身が、その意味での「被害者」になることもあります。言葉というのは、一人ひとりの文化的脈絡の中で生み出されるものであるため、各自の「文化」の意味や価値が共有化されないと、なかなか相互理解は進んでいきません。
さて、島田さんの講演についてです。島田さんの話を聞きながら、どのような点でぐらす・かわさきの10年の歴史そして「文化」と共有できるのか、私はぼんやりと考えていました。その中で浮かびあがってきたのが、以下に示したイメージです。個人は組織や他者とどのような関係を結びながら、どのような社会の中で生きてきたのかを表したつもりです。ちなみに、ぐらす・かわさきが目指しているのは、封建社会でも無縁社会でもありません。言葉としては違和感があるかもしれませんが、主体的な個人が自由につながることで、生きていく上での問題解決を進めていく連帯社会なのです。


以上のような文化的脈絡を確認したうえで、通常の講演報告とは異なり、島田さんの講演の最後の部分から紹介しましょう。彼が最後に提案したのは、家族を法人化して家を経済共同体として考えていくというものでした。これは、彼自身が講演の冒頭で述べていたように、固定観念にしばられた私たちの発想を根本から変えるものです。それゆえに、彼の話を十分に理解できなかった方がいらしたかもしれません。そして、島田さんが法人化の例として渋沢栄一が作った家族会、同族会社の例をあげたことからよけいに、彼が封建社会における家制度の再興を提案したかのような錯覚をもった方もいらしたでしょう。しかし、先のイメージのように、家族の法人化を連帯社会へ向かう流れに乗せることで、人と人とが主体的につながる社会をめざしてきたぐらす・かわさきと彼の提案との接点がより鮮明になるはずです。
さらに話をわかりやすくするために、フランスの民事連帯契約法の例をあげます。この法律は1999年に制定されたもので、フランス名はLe Pacte civil de solidarite通称Le Pacs(パックス)、または連帯市民協約、市民連帯契約と呼ばれることもあります(これを参考に連帯社会と表現しました)。この法律の制定直後に私がフランスに視察に行ったとき、「同性愛のカップルも夫婦になれるようになった」という説明を受けた記憶があります。ただ、現在では、実際には同性愛カップルの比率はそれほど多くありません。むしろ、最近、日本でパックスが注目されるのは少子化対策との関係です。パックスは結婚や家族の形の多様性を前提としているため、婚姻届を出さない同棲カップルにもさまざま法的保護を与えています。この制度の存在が、フランスが少子化を脱した一因とされています。
島田さんの提案は、多様な家族の形を認めるとともに、パックスがない日本で、法人化によって法的な保護を得る一つの問題解決策と言えます。封建社会における古い家族の再興とは、180度異なるベクトルの提案だったのです。私自身は事実婚型の夫婦別姓家族であるため、夫婦同姓を唯一絶対の家族の形とした現行法の下で、税や保険などさまざまな場面で苦労をし、不利益を受けてきました。そうした経験があるからこそ、家族の法人化はとても魅力的な提案に思えました。島田さんは家族を例にしましたが、これを「人と人とのつながり」に置き換えると、連帯社会について、さまざまなビジョンを描くことができます。夫婦別姓や同性婚だけでなく、若者のルームシェアや高齢者のグループホームなど、個人の多様なつながりに対して、法人化による法的保護を活用できるかもしれません。
また、彼は法人化として株式会社を例にあげましたが、それがNPOや社団、財団だって構わないはずです。大切なことは、無縁社会の中でバラバラに存在し孤立しがちな個人を、理念や利害でつないでいくことです。そうした多様な人間関係に法的保護を与えることが、法人化という提案の趣旨だったと私は理解しています。大切なことは「つながり」が与えられ、強制されたものではなく、個人が主体的に選んだものである点です。この点が、封建社会と連帯社会との決定的な違いです。
島田さんは、日本に寄付文化があった例として「寺社への寄進」という伝統をあげました。これにより、寺社勢力が都市を形成し、外部の権力からの介入を防いでいたからこそ、寺社という共同体は「あて」にされ、それが個人による寄進の強い動機になりました。少なくとも当初の寄進は、理念(信仰)と利害(安心・安全の確保)に共感・同意した個人が、誰からか強制されるのではなく、自ら選んだ行為だったはずです。
しかし、時代が移りゆく中で、寺社への寄進が強制的な色合いの強いものになり、寺社に代わって人びとの安全・安心の確保を委ねられた国家が、より強制的な徴税を行うようになりました。
この徴税権の一部を市民に取り戻す試みが、寄付元年の今年導入されたNPO 等に対する寄付優遇税制の拡充策です。また、個人が自らの資源(金、モノ、場所、情報、人など)を活用して、自由に他者や社会とつながる新たな歴史を切り開くための仕組みです。これからは、強制的な税金ではなく主体的な寄付を通じて、地域社会の人びとが多様な形でつながり、問題解決を進めていく、それが連帯社会です。
無縁社会が広がりの中で、寄付を通じて縁を生み出す仕組みを、地域社会の中で生み出すことができるのか?それを進めていく上で欠かせない、活動の理念や利益への共感・同意を、どうすれば引き出していくことができるのか?…島田さんの講演には、ぐらす・かわさきに対する重い問いかけが込められていたように思いました。

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