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慶大法2015解説

1.概評

本学部の論述力試験は30年を超える歴史がある。出題傾向は課題文・筆者との「対話」が求められている点で一貫していている。2015年度の出題も課題文の内容理解に基づく「対話」である。
出題分野・テーマこそ2014年度とまったく異なるが、出題の基本フレームには共通項がある。それを以下のように表現した。X-Y-Zは、弁証法論理の正-反-合であり、Z・合が二項対立(二元論)に対するオルタナティブ(もう一つの考え方)であることがわかる。その意味を把握したうえで、自己の見解を論述する主題である点も同じだ。

2015年度

使用価値 交換価値

関係価値

2014年度

ケアの倫理 正義の倫理

統合・両立

単純な二項対立型ではない点に出題者の意図を読み取ることができる。本学部の論述力試験の設問を振り返ると、XとYという二項の関係を理解したうえで、自己の見解を論述するタイプが多い。そのため、賛否や是非を中心に単純に論述させる「対策」がはびこり、理解・思考の深さを欠く答案が続出していると思われる。そのため、二項対立だけでは書けない出題が、2013年以降続いていると思われる。ちなみに2013年の論述の主題は「内閣総理大臣のリーダーシップのあり方」であり、それには何も言及していないため、著者への賛否・是非では書けない出題だった。
また、「現代日本社会の課題」という出題分野・テーマの傾向も維持されている。あえて解答例の一つにニホンウナギの例をあげたのは、2014年6月にニホンウナギが絶滅危惧種に国際自然保護連合(IUCN)によって絶滅危惧種に指定された事実があったからだ。生物多様性の利用と保全との調和が議論になっているのは、ニホンウナギに限らず現代日本社会には無数にある。自分の周囲を見渡し、そこで発見した課題に対して、自ら進んで理解し、考える課題解決能力(現状の把握→課題の発見→課題の分析→課題の解決)の必要性を再確認したい。
なお、著者はNPOをつくり、東ティモールのコーヒーで生産者と消費者をつなげる活動をしている。こうしたフェアトレード(環境と人間を搾取しない交易)は、スターバックスの「毎月20日はフェアトレードの日」や森永製菓の「1チョコ for 1スマイル」など、社会の中で見かけることが多くなってきた。そうした身近な気づきがあれば、「関係価値」という主題の理解・思考は深められたのではないか。

2.設問と資料の分析

(1)設問

設問は二つのことを求めている。一つは著者の議論をまとめること、もう一つは人間社会における「関係価値」について論じることである。従来までの出題傾向を踏襲し、内容説明(要約)と見解論述をセットにした設問だ。
内容説明(要約)の主題は著者の議論で、一見すると全体要約のような印象を受ける。しかし、制限時数が400字程度(前後2割程度まで長く・短くても可)であること、また、慶大法の論文試験が筆者との対話であることを考えると、見解論述の主題「関係価値」に至る論旨を「まとめ」る部分要約といえる。なお、文章の題材「生物多様性」に引きずられると、「関係価値」という見解論述の主題を見失うので注意が必要だ。

(2)資料

著者は総合地球環境学研究所 研究高度化支援センター教授。京都大学大学院農学研究科熱帯農学専攻修士課程修了。専攻は環境人類学、相関地域研究。著書に『五感/五環―文化が生まれるとき』 (地球研叢書)、編著に『生物多様性―子どもたちにどう伝えるか』 (地球研叢書)がある。
なお、著者の作品ではないが2013年に刊行し40万部を売り上げた『里山資本主義』(藻谷浩介・NHK広島取材班著、角川書店)も参考資料としてあげておきたい。同書はマネー資本主義を批判し、つながりを通じた人々の不安・不満の解消をうったえる。著者の課題認識とビジョンと共通点があることから参考になると思われる。

3.解答の作成

(1)内容説明(要約)
論文試験で出題される文章には著者の課題認識が含まれていることから、一般的に課題文と表現される。課題が何であるのかを明らかにしていくことが内容理解の基本である。「生物多様性」は題材でしかなく、筆者がそこにどのような課題を発見したのかを把握することが理解のポイントになる。
今回の課題文は28の形式段落から構成されている。その記述を一つ一つていねいに追いかけると、多くの受験生は大混乱に陥ると思われる。逆に、「生物多様性」にかかわる著者の課題認識を端的に示した記述を探り当てることで、課題文の理解は容易になる。それが19段落の「誰のものかを問うことを棚上げにしている」「経済価値と市場価値に重点を置いて保全と利用を図ろうとしている」という記述だ。

この課題認識に基づき、後半で、著者は曖昧にされている地域社会を視点に議論の仕切り直しをする。そこで登場するのが、地域の人々が認めた「使用価値」とグローバルに経済的に評価された「交換価値」という二つの価値の違いである。さらに、こうした対抗概念・価値を「架橋」し、折り合わせるために「関係価値」という考え方に著者はたどり着く。
著者の論旨(議論の大まかな道筋)を、課題解決モデル(現状の把握→課題の発見→課題の分析→課題の解決)を使って以下にわかりやすく表現した。課題の解決にあたるのが建艦論述の主題「関係価値」であることがわかれば、解答全体における内容説明(要約)の位置付けが明確になる。

現状の把握 生物多様性をめぐる議論の現状(1~18段落)
課題の発見 誰のものかを問うことを棚上げにしつつ、経済価値と市場価値に重点を置いて保全と利用をはかろうとしている(19段落)
課題の分析 地域社会を視野に入れて考えると、使用価値と交換価値路いう二つの価値の違いがある(24段落)
課題の解決 生物多様性の保全と利用にあたり、地域と地域、地域と世界との関係も大事である(26段落)

以上に示した論旨を把握できれば、あとはキーワードの三つの価値の意味を明らかにすれば、「関係価値」に至る著者の議論を「まとめる」ことができる。やっかいなのは、いずれの価値についても著者による定義・説明がやや不十分なことだ。このような課題文は、断片的な記述から理解を深める推論・類推といったクリティカルリーディングが必要になる。
まず三つの価値のうち「交換価値」は、「グローバルに経済的に評価される」(23段落)であり、「経済価値と市場価値に重点を置いて保全と利用を図ろうとしている」(19段落)生物多様性条約の現状と重なり合う価値である。この条約の中で「曖昧」(20段落)にされてきたのが地域であり、その人々が認めた「使用価値」である。これは経済価値ではなく、生活のいたるところで地域の人々が受けてきた「恩恵」(23段落)だと著者はいう。
この「恩恵」という言葉の意味が明らかにされないから、「交換価値」に比べて「使用価値」の意味をとりづらいのである。経済価値以外の「恩恵」とは何か、生物多様性の観点からも国際的に批判されてきた捕鯨を例に考えればわかりやすい。捕鯨は利益を得る生業(なりわい)であるとともに、その地域の生活や文化そのものでもある。クジラという生物資源を活かして、それを軸に人々はつながり、支え合って暮らしてきた。これが「使用価値」の意味である。こうした著者がしていない説明を自分なりに考え、引き出していくことが推論・類推である。
もう一つ厄介なのは、論述の主題である「関係価値」についての著者の説明が不十分なことだ。これが「交換価値」や「使用価値」とは「別の価値」(28段落)であることはわかる。ただ、著者自身が「いまだおぼろげなものだが」(28段落)と言うくらい、定義・意味は不鮮明である。「相互につながっている」(26段落)、「つながっていることの重要性」(27段落)などの記述から、それが「つながる価値」であることもわかる。では、誰とで誰とがつながるのかといえば、「生産者-消費者」であることも読み取れよう。それは両者が「分断されてしまっている」という表現からも明らかだ。以上のことから、生物多様性をめぐり生産者と消費者がつながることが「関係価値」であることがわかる。もちろん、つながること自体に価値があるわけではない。つながることで生物多様性の利用と保全を架橋できることが価値であり、それが著者のいう「健全な関係性」(27段落)なのだ。このように、「関係価値」についても推論・類推しなければならない。
課題文から重要そうな記述を抜書きするだけでは著者の議論をまとめることができない。それが、この問題の難しさである。

(2)見解論述

難解なだけでなく、肝心な説明が不十分な課題文ではあるが、使用価値と交換価値の二項対立に対するオルタナティブ(もう一つの考え方)として、著者が「関係価値」をあげたことはわかるだろう。また、それが生物多様性の保全と利用をめぐる議論を、より現実的で意味のあるものに変えていくことへの期待も読み取れる。
ただ、前述したように、「関係価値」の重要性はわかるものの、意味・定義があいまいなため、見解論述といわれても何をどのように述べたらいいのか困惑した受験生も多いと思われる。設問が具体例を交えることを求めたのも、それによって抽象的な議論に肉付けをして、アタマをほぐしてもらう意図があったのかもしれない。
そこで、以下のマトリクス(行と列に分けた論点整理表)を利用して、具体例と三つの価値との関係を整理することにした。
たとえば、マグロを例にあげた場合、交換価値とは、持続可能な生産資源として利用していくために漁獲制限を行い、生物多様性を保全することである。しかし、マグロを通じた仕事・生活・文化を成り立たせてきた地域にとっては、一方的な漁獲制限を受けることで著しく「使用価値」を減少させてしまうため、生物多様性の利用を主張するはずだ。こうしたグローバルな視点とローカルな視点を、生産者と消費者をつなぐ考え方が関係価値である。
同様の対立・議論は、クジラの捕獲や世界遺産の利用でもあるはずだ。そこにはどのような対立・議論があり、どこに三つ価値を見出せるのかを考えてみよう。そのようにして理解・思考を深めていけば、「その他」として自分で考えた独自の具体例をあげられるはずだ。

価値

具体例

交換価値

使用価値

関係価値

マグロ

     

クジラ

     

世界遺産

     

その他

     

具体例を通じてアタマをほぐせば、以下に例示した著者に対する問いかけを通じて見解論述の論点を設定することができる。とりわけ、今回の課題文のように、主題が抽象的でやや説明不足の場合は、「問う能力」(2006年出題)を発揮して能動的に問いかけることで、主張・説明を掘り下げていくことができる。

・「関係価値」とはどのようなものか?
・「関係価値」という考え方によって何がどのように変わるのか?
・「関係価値」という考え方の限界や問題点はないか?
・そのようにして「関係価値」という考え方を社会・世界に広げていくのか?

なお、設問は主題を「人間社会における『関係価値』」と表現している。これは生物多様性という題材に引きずられ、それを保全・利用する主体を外した見解論述を避けるための注意書きのようなものである。生産者と消費者とをつなぐものとして「関係価値」を理解できていれば、自然と「人間社会における」という設問を踏まえた解答になるはずだ。過剰に反応する必要のない表現といえる。

【解答例】

生物多様性を題材とした筆者の議論は、「われわれは生物多様性に使用価値と交換価値を見出した」という最終段落の一節に示唆されている。ただし、この二つの価値と生物多様性の利用と保全との関係は、筆者が「混沌」「ねじれ」「曖昧」と表現するように、必ずしも明確で一様ではない。これを整理するための鍵になるのが、筆者が「誰のものか」と問いかける主体である。主体を人類にするか特定の国(地域)にするかによって、利用と保全のあり方は変わる。地域と地域または地域と世界という主体相互の関係によっても異なる。筆者が注目するのは、こうした主体や関係の多様さではなく、主体相互が関連・依存しつながることである。そして、使用価値と交換価値のどちらを優先するかという議論の前に、別の価値(関係価値)を探る可能性を提示する。これは生物多様性の利用と保全とを架橋し、利用しながら保全することをめざすものである。
生物多様性の利用と保全とが問題になっている具体例として、私は二ホンウナギをあげたい。おいしい国産ウナギを求める消費者とこれを提供してきた事業者にとって、ニホンウナギは使用価値がある。一方で、国際自然保護連合はこれを絶滅危惧種に指定したが、そこにはウナギを食べない外部者による交換価値が反映されている。直ちに漁獲が規制されるわけではないが、交換価値が優先されれば、日本が大切にしてきた食文化という使用価値が脅かされる状況にある。
ウナギに象徴される使用価値と交換価値との将来の対立を克服し、利用しながら保全することを実現するには、筆者がいう「関係価値」を理解し、実践することが必要だ。
端的に言うならば、それは一人ひとりが我慢することである。ウナギに限らず、自己の欲望のおもむくままに希少・有限な資源を消費し尽くせば、いずれは枯渇する。大量生産・消費・廃棄が当たり前の世の中になり、私たち消費者は節制という言葉を忘れてしまった。節制とは、他者や社会との関係を考慮した自己検証の結果といえる。それに必要なことは、不可視化・切断された生産者-消費者の関係を再生し、つながることである。ただし、筆者が期待するような地域社会の再生は難しい。しかし、現代はネットやSNSを通じて、生産者―消費者だけでなく、外部者ともつながることができる。手段や場所は何であれ、対話があれば「関係価値」の実践になり得る。