秋田大学医学部 推薦入試Ⅱ 2017年

【問題】

次の文章はジャーナリストである著者が「イクメン」と言われる男性たちを数年間にわたり取材したレポートの抜粋である。以下の設間に答えなさい。

問1 空欄(1)には,吉原さんが「虐待」に至った理由が記されている。どのようなことが類推されるか,「イクメンのプライド」および「イクメンの呪縛」という言葉を含めて,200字以内で述べなさい。

問2 空欄(2)には吉原さんが親子関係を再構築する過程で,「虐待」に陥らないように身につけたものの考え方や,心情が語られている。どのようなものか,400字以内で説明しなさい。

育児にいそしむ男性たちに,「イケメン」を一文字入れ替えた「イクメン」という名称が与えられ,注目を集めでいる。「育児を楽しむ,格好いい男」を意味するらしい。
「育てる男が,家族を変える。社会が動く。」――。これは厚生労働省が2010年度に発足させた「イクメンプロジェクト」のキャッチフレーズ。今や,国までがこの言葉・概念を用いて,父親の子育てを支援する時代なのだ。
吉原(よしはら)光男(みつお)さん(仮名・当時35歳)は東京の有名私立大学を卒業後,銀行勤務を経て,30歳の時に学生時代の友人と2人で経営コンサルタント会社を起業した。だが,4年後,大手同業者の攻勢や景気低迷の波を受けて多額の負債を抱え,経営していた会社は倒産する。ちょうど時期を同じくして,結婚6年目で待望の長男が生まれた。外資系証券会社に勤務する2歳年下の妻は3ヵ月だけ育児株業を取得した後,仕事に復帰。妻とも十分話し合ったうえで,彼は「専業主夫」の道を選んだという。
「福岡出身で学生時代から一人暮らしをしていたので,家事は得意でした。特に料理なんか,妻よりも凝ったものができるんじやないかな。それに,待ちに待った子供が生まれたんですよ。妻は結婚した時から,出産後もキャリアを中断きせたくないと強く望んでいましたし,私が家事も子育ても担当するというのは,至極自然の成り行きだったんです。今日お見せできないのが残念ですが,今1歳になったばかりの息子は私にとてもなついていて,本当にかわいいんですから」
そう話す彼の表情には一点の曇りもなかった。まだごく少数派ではあるが,男性の生き方にも選択肢が増えたことを実感させられる。ぜひその後も彼を追ってみたいと思った。
1年余り経った2006年の夏,吉原さんに取材を申し込み,埼玉県内の自宅を訪れた。
部屋中に子供がなめても安全とされる高価なドイツ製木製玩具が並べられ,ベッドは大人用のシングルベッド,吉原さんと息子は毎日,ここで一緒に寝ているという。
吉原さんは息子を胸に抱きかかえて頼ずりをしながら,わが子自慢を始めた。
「この子はね,1歳半にも満たない頃からたくさん言葉を覚え始めて,『パパ,これなあに?』などと私にしきりと話し掛けてくるようになったんです。早いでしょ。それに,一人歩きを始めたのはまだ9ヵ月の時ですよ。すごいでしょ。本当にしっかりしているんです。ねえ,翔くん」
初めて会った時から家事や育児について話す際のにこやかな表情が印象的だったが、この時はもう笑顔満開で,聞いている私が仰(の)け反(ぞ)ってしまいたくなるような迫力があった。
吉原さんに次に会ったのは2年後の2008年夏。長男は4歳になり,この年の春に幼稚園に入園していた。以前は玩具でいっぱいだった「翔くん部屋」には小さな机と椅子(いす)が置かれ,周囲を取り囲むように置かれた本棚やマガジンラックには,絵本や児童書,さらには幼児用英合話のテキストやDVDがぎっしりと詰め込まれている。
驚きの感情を何とか抑え,「ちょっと雰囲気が変わりましたね」と声を掛けると,当時38歳の吉原さんは,息子の早期英才教育について熱弁をふるい出した。
「息子の教育を始めるのは,早ければ早いほど効果があると思いましてね。言葉も身体の成長も進んでいる子ですから,飲み込みがいいんですよ。国語をきちんと覚える前に英語を学び始めるなんてけしからん,などと偉そうなことを言う教育学者もいますけれど,両方同時に覚えればいいことでしょ。この子はそれができるんだから,やるに越したことはない。そう思いませんか?」
気がつくと,机で児童書を読んでいた長男が本をパタンと閉じ,私のほうに向かって小走りでやってきた。そして,つぶらな瞳(ひとみ)を輝かせ,「何しに来たの?」「何かして遊ぼうよ」と話し掛けてくる。その途端,私の隣の吉原さんが,やや眉(まゆ)をひそめて不快感を露(あらわ)にした。
「ねえ,遊ぼうよ」――。父親の表情の変化に気づかぬ息子は,なおも私を誘ってくる。
「翔くん,だめだろう。本を読み始めてから一時間も経っていないじゃないか。机に戻りなさい」
吉原さんがわが子に向かって険しい表情で声を荒らげたのを見たのは、この時が初めてだった。前回,豊かな表情で息子の成長に対する喜びを表した男性とは,まるで別人のようだ。
「でも……僕,疲れちゃったんだもん」
「だめだ」
「ちょっとだけ遊んでもいいでしょ?」
「だめだって言っているだろう!」
父子の会話の最後で,吉原さんは息子に向かって大声で怒鳴っていた。そうして,ようやく観念したのか,息子は泣きべそをかきながら机に戻っていった。
吉原さんは突然,我に返ったようで懸命にその場を取り育って笑顔に戻し,説明する。
「ほら,子供が成長していくに従って,しつけも重要でしょ。私は息子を温かく包み込む母親の役割と,厳しく指導する父親の役割の両方を担っているわけですから」
2013年冬,43歳になった吉原さんにやっと会うことができた。取材を始めた当初は,少なくともあと一人は子供が欲しいと話していたが,長男は一人っ子のままだった。
リビングに通されて驚いたのは,そこで小学3年生になった息子がテレビゲームをして遊んでいて,テーブルの上に宿題とみられる国語や算数の教科書とノートが無造作に置かれていたことだった。「翔くん部屋」をのぞかせてもらうと,本棚の中は所々に隙間ができ,マガジンラックにはかつて積み上げられていた英会話テキスト,DVDの代わりに,ゲ‐ムソフトが数個収められている。父子が共に寝ていたシングルベッドは子供用の小さなものに変わっていた。
前回会った時に目にした怒り交(ま)じりの焦った表情は消え,かといって,以前の陽気過ぎる父親に戻るわけでもなく,淡々とした面持ち,口調で語り始めた。
実は,短期間ではあるんですが,息子に手を上げてしまいまして……つまり児童虐待(ぎゃくたい)です」
「この前に奥田さんに会ってから3年ほど経った頃でした。早期英才教育を進めていくうちに,有名私立大学の付属小学校を受験させようと,思いつきましてね。“お受験”のための教室に通わせて,私がつきっ切りで家でも指導していたんですが,だんだん勉強を嫌がるようになって,結局,受験を諦めざるを得なくなってしまいました。公立の小学校に入学してからは,ますます言うことを聞かなくなってしまって……つい……」
それは,妻が海外出張で1週間ほど自宅を不在にした時の出来事だった。帰宅して頬や腕にあざのできた息子を見た妻は,慌てふためいて泣き叫び取る物も取りあえず息子と二人,逃げるように実家に戻った。
「でも最初は,それが虐待にあたるなんて認識は全くなかったんです。しつけのつもりが,だんだんエスカレートしていってしまって……」
吉原さんは途中で心の奥底から溢(あふ)れ出る感情を抑えられなくなったのか。しばらく沈黙してしまう。
「どうして息子さんに暴力を振るってしまったんですか?」
吉原さんの様子が少し落ち着いたのを見計らって,聞いてみた。

(1)

 

 

その後,どのようにして考えや行動を改めたのか。
「まず妻とじっくり話し合いました。彼女は一時期離婚も考えたようですが,私の深い反省の念を理解してくれた。妻にはとても感謝しています。一定期間,離れて暮らしたほうがいいということになって,1年半ほど妻子は実家住まいでした。別居してから3ヵ月過ぎた頃から月に1回,妻の実家を訪れるようになって,ダ少しずつ息子と会う頻度と時間を増やしていって……。最後の半年ぐらいは週に1,2回は会って,公園や遊園地に息子と二人で出かけるまでになったんです。ある時,遊園地で……む, 息子が……」
今度は嗚咽(おえつ)による沈黙だった。
「わ,私が『翔,痛かっただろう? ごめんな。こんなお父さんだけど,許してくれるか?』と言うとむ, 息子が,……翔が……『大丈夫だよ。パパは僕のこと思っても。疲れてたんでしょ。分かってるから』って……。誰が教えたわけじゃない。どうしょうもない父親のことをそう言ってくれる息子のことを思うと……。私を本来あるべ父親の姿に正してくれたのも,息子でした」
当時,親子二人の同居が再開してからすでに10ヵ月が過ぎていた。別れ際,吉原さんは「そろそろ仕事に就いたはうがいいかな,と思つています」とぽつりと漏(も)らした。
2014年8月,改めて吉原さんに会った。平日昼時の赤坂のオフィスタワー地下にあるカフェ。近況を尋ねると,半年前から友人の紹介で税理士事務所に勤めているという。
柔らかな笑顔に,ややはにかんだ表情は9年に及ぶ取材で初めて見る姿だった。
その様子に安堵(あんど)し,「息子さんとの関係はどうですか?」と尋ねてみた。
「順調です。息子は小学4年生,10歳になったんですが,野球が大好きで地域の少年チームに参加しているんです。この夏の猛暑でも全くへこたれず,真っ黒に日焼けして,たくましく成長していますよ。

(2)

 

 

困難を乗り越え,親子,そして家族の再生への道を着実に歩んでいるようだった。
<出典:奥田祥子著 「男性漂流 一 男たちは何におびえているか」(講談社より抜粋,一部改変)

【解答例】

問1 私は息子のために早期英才教育や“お受験”に取り組んできました。その努力がわかってもらえず苛立ち、日常的に息子に手をあげるようになりました。いま考えてみると、暴力は息子のしつけのためではなく、「イクメンのプライド」を守りたいという自己中心的な感情だったのかもしれません。私の心の中には、会社だけでなくイクメンでも失敗するのかという焦りもありました。「イクメンの呪縛」から逃れられなかったんだと思います。(200字)

問2 吉原さんが身につけたものの考え方とは、自分ではなく相手を尊重することである。彼は息子にやらせたいことばかりを考え、彼が好きなことは何か、やりたいことは何かなどまったく考えてこなかった。「虐待」はこうした一方的な人間関係の中で生じやすく、とりわけ親子関係のように体力や経済力など大きな差があるときに深刻化しやすい。まずは相手の好みを尊重し、それを応援するような付き合い方をすれば、親子関係を再構築できる。
ただし、相手を尊重するには自分自身の安定も大切だ。それを示唆するのが、「疲れてたんでしょ」という息子の言葉である。彼は大好きな野球に熱中しているという。それが自己肯定感を高め、父親を気づかう「心」を育んだのだ。それを感じているから、吉原さんも「たくましい成長」と表現したのだろう。だから、息子に負けないよう、吉岡さんも今の仕事に喜びを見つけることで、家族の再生をめざしたいと思っているはずだ。(397字)

【解説】
秋田大学医学部2017年推薦入試の出題で、理解力を重視した問題です。ここでいう理解力とは課題文からの抜書きではなく、全体と部分に着目して「推論」するという水準の高いものです。
問1は吉原さんが述べるだろう「理由」を類推して、彼自身の言葉で「述べる」ことを求めています。問2は彼の変化・成長を読みとり、解答者自身の言葉で「説明する」ことを求めています。いずれも共通するのは、相手の視点で理解・思考・表現することであり、医師の「適性」をはかる趣旨だと思われます。「適性」の一つはTPOに応じて情と理を使い分けることですが、問1が情、問2が理であると考えると、医学部らしい問題のつくり方であることに合点がいきます。