秋田大学医学部 推薦入試Ⅱ 2015年

【問題】
次の文章を読んで、以下の質問に日本語で答えなさい。

質問1
「読書する怠け者」とはどのような人を指しているか。100字以内で説明しなさい。

質問2
著者の言うところの「経験」とは何かを説明するとともに、これが読書においてどのような意義があることなのか、あなたの考えを500字以内で述べなさい。

受け手の立場から送り手の立場に変わることで、はじめて見えてくることは少なくない。本に関しても同様で、もっぱら読者として向き合っていた頃には無自覚であったことが、ひとたび自分が書き手になってみると、いろいろと見えてくるものである。
(中略)
新しく本が出来上がると、ある範囲の知人たちには、これを著者献本という形でお配りすることになるのが通例である。しばらくすると、ポツポツとそれについての感想や反応が返ってくる。
まずは、読んでくれなかったであろうと 思われる場合には、概して本のタイトルについての感想が述べられることが多い。タイトルの付け方の良し悪しを論じたり、たくましい想像力を用いてタイトルから推測された内容に基づいて感想が述べられたりするのである。
しかしながら、昨今ではタイトルの最終決定権が必ずしも著者にない場合もあり、タイトルが本の内容を十全に反映しているとは限らないという事情がある。出版社とて企業体なので、当節、少しでも売れるように工夫しなければならず、新刊本のタイトル付けには頭を悩ましているのだ。そんなわけで、著者としてはタイトルについてだけコメントされても何とも言いようがないこともあって、そんな時には黙ってご意見を拝聴し、お礼でも申し上げるより仕方がない。
次に多いのは、「いやあ、なかなかの読書家ですなあ」といった反応。これはきっと、パラパラとページをめくって引用文が多い本だなあと思っての感想なのであろう。この場合、大抵それに続いて「私には 少々むずかしくて……」という弁明が述べられ、話題が決して内容に及ぼぬような流れになるのが常である。
これらいずれの場合にも、多分その本は少なくともその時点でその方に縁のなかった本だったと考えるべきだろう。つまり、献本されなければ、たとえ書店で目にしたとしても、決して手に取られることのなかったはずの本なのだ。人には提供された本 を読まない自由があり、またそれが本の良さでもある。そもそも人は目に見えぬ因縁によってある本と出会ったり出会わなかったりするのであって、本というメディア は、そういう自然の摂理をねじ曲げない奥 ゆかしさを備えているのである。
こんなことから考えると、人に本を薦め読んでもらうことは、一般に思われているほど容易なことではないのだ。よほど相手の流れにかなった本でなければ押し付けになってしまうだろうし、薦め方もあっさりとした嫌みのない言い方が不可欠である。 そして最も肝心なのは、薦める人の存在そのものから滲み出る説得力なので、こればかりは付け焼刃ではいかんともし難い。 さてそれでは、しっかりお読みいただいた方々の感想からは、どんなことが見えてくるだろうか。
今はインターネットの時代なので、見ず知らずの一般読者の感想もタイムラグなしに直接閲覧できるようになったが、様々な感想を拝見してみると、反応されているポイントが、予想以上にまちまちであることに驚かされる。いろいろなテーマを詰め込んだ本であったにせよ、なぜこれほどまでに受け取り方に違いが出るのか。同じ本でも人それぞれ受け取り方が異なるのは当然のことだが、しかし一体どういうからくりで、こうも受け取り方の違いが生ずるのだ ろうか。
身内や親しい知人に読んでもらった場合、私はその人の「人となり」を知っているので、感想をうかがってみると、なるほどこの人ならそういう読み方になるんだろうなと思うのである。その人が問題意識をもっているテーマに関わる部分については熱心に読み込まれていて、一方、その人自身が直面することを避けているようなテーマや、未だ「経験」の及んでいないと思われる内容については、きれいにスルーされてしまっていることが多いのだ。そして大抵、これは無意識的に行われている。
しかし中には、ごまかしなくこのことを自覚していて、どの箇所をスルーせざるを得なかったか、読んでいて痛みを伴ったのはどこか、日本語としては分かっても理解が及ばなかったのはどこか、等々を率直に表明される方もある。このようなことは、硬いプライドで身を守っている人にはおよそ逆立ちしてもできないことであって、かえってその人の度量の大きさが感じられる。人が内的な成熟を希求して手掛かりを模索しているような時に、このように率直で「開かれた」読み方がなされるのであろう。
さてこのように見てくると、読書とはある大きな限界をもっているものであることが分かってくる。
本に書かれている内容について、それに相応する「経験」の萌芽、もしくは問題意識や好奇心が読者の中にあらかじめ準備されていなければ、まずその本と出会う因縁自体が生じないであろうし、もし読んだとしても、その人には何の変化も起こりはしないだろう。つまり、人は読書によってあらかじめ裡(うち)にもっている「経験」を深めることはできても、まったく未知の「経験」をすることはできないのである。
ニーチェは主著 『ツァラトゥストラ』の 中で、

いっさいの書かれたもののうち、わたしはただ、血をもって書かれたもののみを愛する。血をもって書け。そうすれば君は知るであろう、血が精神であることを。 ひとの血を理解するのは、たやすくできることではない。わたしは読書する怠け者を憎む。(手塚富雄訳)

と述べている。そしてそれは、安易な読書偏重が、みずから「考えること」を「堕落」させる惧(おそ)れがあるからだと言う。 また、イプセンの戯曲『 形の家』でヒロインのノラは、夫トルワルに対し次のよ うに三行半(みくだりはん)を突きつける。
ほとんどの人はあなたのほうが正しいと言うでしょうよ。トルフル、それにあなたの後ろにはいっぱ い本がくっついているのよね。でも世間の人の言葉やあなたが本で見つけた理屈だけじゃ、もう安心できなくなった。あたしは何でも自分で考えて、自分で決めたい。(坂口玲子訳)
ニーチェもイプセンも、「読書」が決して人間の「経験」、すなわち、みずから感じ考えることの代わりになったり先んじたりするものではないと知っていたのだ。
では、「経験」とは何のことだろうか。それは断じて、何かをしたとかどこかに行ったというような「体験」のことを指しているのではない。
「劇を見に行って心の平衡を失うことがなければ、その夜の収支決算は赤字である。」と演出家のビーター・ブルックは書いているが、「経験」とは、自身の内的な 成熟のために「心の平衡を失うこと」を厭わずに「身を開いて」生きることなのである。そしてまた読書という営みも、「開かれた」姿勢でなされなければ、「経験」にはなり得ないものなのだ。
(泉谷閑示著「読書をする怠け者、読書をしない怠け者」『図書』岩波書店2010年10月号から抜粋)

【解答例】

質問1 怠け者とはなすべき事をしない者をいう。では、読書でなすべき事とは何か。それは「経験」や問題意識や好奇心をもつことだ。それらを欠いて、自分で感じ考えないまま本を読む人が、読書をする怠け者である。(96字)

質問2 「開かれた」が筆者の言う「経験」のキーワードである。それは、自分から他者・社会に一歩踏み込んでいく能動性と言い換えることができる。能動性があるからこそ、人は内的な成熟を希求し、さまざまなことに問題意識や好奇心をもち、読書を通じて自分の頭で感じ考える。
こうした「経験」は読書においてどんな意義があるのか。筆者の言葉を借りるならば、それは本と出会い、その人に変化をもたらすことである。読書をしない怠け者は「どんなことでも知っている」と自分の成熟を過信し、内的な成熟や変化を望まない。一方、読書をする怠け者は、自己の内的な成熟や変化への関心がなく、ニーチェのいう「血」が流れない情報収集に終始する。
かつての私は。このうちの後者の読書に終始していた。受験に役立つと先生に勧められた本を、懸命に読んでいた。自分の頭や心が動く本もあったが、多くは自分自身の問題意識や好奇心とは無縁だったため、読書における「経験」の意義が発揮されなかった。しかし、いま夢中になっている本は違う。以前から気になっていた子どもの貧困に関するものだ。心が大きく揺さぶられ、自分の生き方を自問することが多くなったからである。(493字)

【解説】

秋田大学医学部医学科の2015年推薦入試Ⅱからの出題です。出題形式は読解記述型で、人間・社会をテーマにしたものです。
設問は二つの質問から構成されています。以下に簡潔に整理・表現した主題を確認し、解答に際してこれらを逃さないよう留意しましょう。
質問1:「読書をする怠け者」の意味
質問2:筆者の言う「経験」の意味と読書における意義
質問1の「読書をする怠け者」はニーチェの言葉です。彼は血(精神)をもって書くことを説きますが、だからこそ理解が容易でないことを指摘します。精神科医の筆者はここに共鳴したと思われます。相手の言葉を感じ取り、その意味や背景等を考える日々の努力は読書にも通じるからです。その努力は自己の「経験」や問題意識や好奇心に基づくものですが、これを怠る人が「読書をする怠け者」なのです。
質問2も理解力重視の問題です。「経験」については記述が複数あります。それらを抜き出するのではなく、各記述に共通する本質を把握、表現するようにしましょう。解答例は「開かれた」という記述に着目し、そこから能動性という読書の本質を引き出しました。能動性とは「他からのはたらきかけを待たずにみずから活動すること」です。あることを知りたい、考えたい…という関心・意欲が読書における能動性です。なお、「経験」の意義について筆者は「自身の内的な成熟」と表現しています。これをどう深めていくかも論述の際のポイントです。自分自身の読書「体験」を振り返ってみましょう。読書を通じて何か良い方向に変化したことはありませんか。もしあったとすれば、それが筆者のいう「経験」なのです。